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6人の女たち_#Vol.01 鏡の中の女

2017.05.14
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PLSTのお客様を主人公としたフォトノベルがスタートしました。様々な境遇の女性たちが、悩みや葛藤を抱えながらも前向きに明るい一歩を踏み出すストーリーを全6回でお届け。今回の主人公は、大手広告代理店に勤務する39歳の女性です。

鏡の中の女_大手広告代理店勤務・葵39歳

同棲している恋人は、早朝から房総にゴルフに出かけていない。シモンズのベッドを独占し、ここぞとばかりに大きく足を伸ばす。春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、春の眠りはなぜこんなにも気持ちが良いのだろう。葵の体はベッドに沈み込んでそのまままた夢の世界に引き込まれそうだ。

ベッドに寝転がりながら、枕元に置いてある携帯で時刻を確認すると11:50だった。そのままの体勢でスマートフォンをいじると、土曜日の正午のFacebookのタイムラインは、子供連れの家族の幸せそうな投稿で埋め尽くされていた。

葵は、心の中の言葉にならない灰色な感情をため息として吐き出す。

まるで水戸黄門の印籠のように「親バカでごめんなさい」というコメントを掲げられては、受け取る方はぐぅの音も出ない。葵は仕方なく、友人がアップしたミートソーススパゲティのケチャップを口の周りにべったりとつけた子供の写真に「いいね」をした。

それから、映画のヒーローがマントを翻すように思いっきりタオルケットを投げやると、何かを吹っ切るように腹に力を入れて勢いよくベッドから飛び起きた。

赤坂の大手広告代理店のアカウントマネージャーとして働く葵は、今年の5月で40歳になる。20代の時は、40歳といえば、随分と分別のある大人だと思っていたけれど、貯金通帳の額が一桁上がったことと、腕に巻きつけた時計がステンレスからイエローゴールドにグレードアップしたこと以外は何も変わっていない気がする。

麻布十番のタワーマンションの11Fで同棲している恋人とは、事実婚のような状態が3年ほど続いていた。

二人とも同じ広告業界で働き、雨後の筍のように次から次にレストランができるこのエリアをこよなく愛していてライフスタイルもぴったり合う。美味しいものとワインにはお金を惜しまないが、光熱費や携帯代などは定期的に無駄がないかをチェックして締めるところは締めるという金銭感覚もバッチリだ。外食を好むくせに20代からのスタイルを維持できているのは、週1回のパーソナルトレーニングと、毎朝欠かさない愛犬のダックスフンド・ココの散歩のおかげだ。
つまるところ、二人の相性はぴったりだが、戸籍上一歩進めた関係に踏み込めないのは、お互い結婚で躓いた過去があるからだ。

三田にある大学を卒業後、広告代理店に入社し、華やかなキャリアをスタートさせた葵は、大学時代から交際していた当時の恋人と25歳のときに結婚した。友人たちからは、女性としてのキラキラのキャリアも、学生時代からの恋人との結婚という美しい恋物語も手に入れた「現代女性の完璧な人生」と随分と羨まれたものだ。パレスホテルの大きな窓から差し込む光は、まだハリと潤いをたたえた25歳の葵の肌をなめらかに滑り、神々しいまでに美しい花嫁だったと、皮肉やの親友たちも涙を浮かべて祝福してくれた。

しかし、シンデレラや白雪姫のハッピーエンドの続きを誰も知らないけれど、女性の物語には、必ず続きがある。

キラキラのキャリアと称された仕事は、文字通りキラキラと葵を魅了した。ワークライフバランスなどという言葉が今ほどもてはやされる前の時代だ。

クライアントへ提案する新CMの企画会議は連日深夜にまで及んだが毎日が学園祭の前日のような熱を帯びていたし、初めてプレゼンしたコンペで競合に打ち勝ったときの興奮は今思い出しても鳥肌が立つ。

撮影現場は、時代に愛されたタレントのオーラに包まれ何時間立ちっぱなしでも疲れるどころか自分まで光を浴びて磨かれていくようだった。自分たちが手がけた企画がテレビを賑わせれば時代を動かしている傲慢な手応えがあったし、打ち上げと称した飲み会は雑誌でよく見る予約がとれない話題のお店だった。

まるで、昔見たトレンディドラマの登場人物として街中を闊歩しているような毎日だった。

セスナに乗るが如く、加速度的に景色が色とりどりに変わっていく葵とは裏腹に、日系証券会社に就職した夫は、毎日個人の営業担当として代わり映えのない現実に向き合う日々。雨の日も風の日も目の前の業務を斧で割るような当時の夫とは、話がどんどん合わなくなっていった。32歳のとき、もともとは一本の道だったことが信じられないほどに大きくかけ離れてしまった二人にとって、離婚は至極当然のことだった。

結婚では一度躓いてしまったけれど、3人に1人が離婚している現代、なおかつ前衛的な価値観の男女が多い広告代理店という職場では、もはや離婚は失敗でも何でもない。わかっていても、結婚の辛い面を丸ごと飲み込んだ葵にとって「では、もう一度」という熱い勢いは無く、それは現在の恋人も一緒のようだった。未来を書面で誓わずとも毎日をガラス細工のように大事に慈しむ今の生活に満足しているつもりだ。

それなのに、今日のように、子供を産んで家族を築いていく友人たちの多さを暴力的なまでに見せつけられ自分がマイノリティだと鼻先に突き付けられたときの、このもやもやとした気持ちはどう説明すればいいのだろう。

—もしかしたら自分も、子供が欲しいのだろうか・・・?—

葵は、気分転換に愛犬・ココの散歩へと出かけることにした。
麻布十番商店街を抜けて六本木ヒルズの中を通り戻る30分程度のコース。せっかくだから『PLST』で新作でも見てこようと思い立ち、J&M Davidsonのシルバーの財布をポケットに入れた。
普段仕事柄こってりメイクをしているのだから休日くらいは肌を休ませたい。日焼け止めを塗り軽くお粉を施すくらいでいいだろう。葵は、白い大き目のビッグシャツに、ハイウエストのデニム、オリーブ色のトッズのドライビングシューズを履くと、トムフォードのサングラスをかけて出かけた。

マンションの周りに植えられている新緑が目にも鮮やかで、日差しは、SPFを20にしたことを少し後悔するくらいに眩しかった。

賑わう商店街を抜けてけやき坂に出る。六本木ヒルズのアリーナでは、催し物をやっているのか、人だかりができていた。どこが主催のイベントなのだろうと、職業柄気になって覗き込むと、近年ママタレントとして活躍しているモデルと、イクメンとして引っ張りだこの俳優がトークセッションをしているのが目に入る。

周りを見れば、ベビーカーを押したママや、子供の手をつないだ親子連れが目立つ。なるほど、ママをターゲットにしたファッション誌のイベントのようだ。

「楽しそうだな…」

無意識のうちに葵の口から言葉がこぼれた。

5月で40歳。
35歳を超えた女性の妊活事情について、それなりにわかっているつもりだ。昨今不妊に悩んでいる人がいかに多いか。今年40歳の葵が「子供が欲しい」と言葉にすることがいかに憚られることか。そして、勇気を出して言葉にしたとしても、その後に挑まなければいけない長い道のりの壮絶さと過酷さも、その道のりで幾度も味わうであろう挫折のことも・・・
それでも。

葵は、先ほどの自分の問いかけに手を伸ばす。

今までずっと心に蓋をしていたが、ぐつぐつと煮えて沸き上がってくる感情に、そろそろ自分自身が知らん顔をできなくなっている。SNSでもやもやした気持ちになるのも、つい意地悪な目線を投げかけてしまうのも、自分が欲しいものを手に入れた人たちがいるのが羨ましいのだろう。

—きっと、自分も子供が欲しいのだ・・・—

エスカレーターで、ベビーカーを押した美しい女性とすれ違った。子供に向けられる柔らかい笑顔がシャッターを切ったように葵の心に焼きつく。

大人の遊び場である六本木ヒルズには、お酒と、高いヒールが似合うと強がっていたけど、子供の声が響いている六本木ヒルズは、いつもと違う夢に溢れた空間のように見えた。

ARAのエレベーターを上り2Fに行くと、葵は『PLST』に立ち寄った。
『PLST』の服は、ストレッチがきいてしわになりにくく、オフィスファッションに最適だ。特に六本木ヒルズ店は、インポート物も多く、トレンドをうまく取り入れながらも上質なものが揃っているので重宝している。麻布十番で同棲を始めてからは、月に4、5回顔を出すほどで、7人いる店員とはもはや、お互いの恋愛事情まで知っている仲だ。ココを連れて行っても、葵が試着する間いつも迷惑がらずに可愛がって預かってくれるのもありがたい。

「あ、葵さん。こんにちは!サングラスお似合いですね。」

店員の中で一番古株の女の子が葵に気付き寄ってきた。葵と世間話をしながら、いつもさりげなくファッションを褒めてくれる。もちろんそれが仕事なのだと思いながらも、いつも葵がポイントにしたパーツをさらりと汲み取って的確に褒めてくれる洞察力とセンスには一目置いている。似合わないものは、否定はしないものの「こちらの方が葵さんには似合うかも」と別の角度から提案をしてくれる正直さも信頼している。

「何か春を通り越して、もう真夏みたいな陽気ね。」

葵は、爽やかなミントグリーンのシャツや、ぱきっとしたカラーが印象的な黄色のサマーニットを手に取りながら、ふと店頭のマネキンが着ているアイテムに目が止まった。

淡いサーモンピンクの柔らかなブラウス。

葵が今まで手に取ってこなかった色だが、この日は、そのブラウスのうっとりするような発色に一目惚れのように吸い込まれた。

「あのピンクのブラウス・・・見せてもらってもいい?」

店員は、もちろんです、と言うと、店内の棚をチェックした。しかし、在庫がなかったのか、すぐさまマネキンを脱がしてピンクのブラウスを葵に差し出し試着室へと促した。

身につけると、恋する少女の高揚する頬のようなサーモンピンクに、とろけるような柔らかな生地が肌に馴染み、今ままでのクールな葵の印象からガラリと変わる。

あまりの変化に恥ずかしくて試着室のカーテンから顔だけを出し、店員を手招きする。

「どう・・・?」

葵の全身を見るなり、店員は、目を輝かせた。

「女性らしい柔らかい雰囲気になりますね!今までのかっこいい雰囲気の葵さんも好きですけど、新しい葵さん、って感じで本当に素敵。」

— 新しい葵さん… −

カーテンを閉め、改めて試着室で自分と向き合う。

鏡の中には、39年間で初めてみる、女性らしい柔らかい雰囲気をまとった自分がいた。ふと先ほどエスカレーターですれ違ったベビーカーの子供を見つめる母親の笑顔がフラッシュバックする。その笑顔を思い出しながら、葵は考える。

— 今年40歳の自分が、母親になれる日がやってくるだろうか?—

自分の湧き上がる欲望を認めてしまった今の葵にとっては、これからのことを考えるだけで足が怯みそうになる。きっと長い道のりになるのだろう。それでも、結果がどうであろうと、勇気を出して一歩を踏み出してみなければ、新しい自分に出会うことはできない。

—…頑張ってみようかな。—

母になりたい。そう強く心に思った鏡の中の女がにっこりと優しく微笑んでいる。その顔は、慈愛に満ちて眩しいほどに美しかった。


Photo:@koichi1717
Text:yukiko sakashita
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