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6人の女たち_#Vol.02 バケーションの女

2017.05.28
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PLSTのお客様を主人公としたフォトノベルがスタートしました。様々な境遇の女性たちが、悩みや葛藤を抱えながらも前向きに明るい一歩を踏み出すストーリーを全6回でお届け。今回の主人公は、インターネット企業勤務28歳の女性です。

バケーションの女_インターネット企業勤務・藍28歳

それは、突然のことだった。

朝の定例ミーティングが終わり、デスクに戻る途中のこと。まるで透明なトンネルを抜けたかのような時空の歪み、気圧の変化を感じた。

藍28歳は、渋谷にあるインターネット企業で広告営業をしている。健康食品を扱うクライアントから、夏に向け新たに発売するダイエット商品をプロモーションしたいという案件が舞い込んできたのは先週のことだ。多額の予算が投下されるということで、藍たちの会社のほか、3社の同時コンペになるという。この案件を勝ち取れば、チームとしての四半期の売上目標はほぼ達成されるとあって、上司始め、チーム全員鼻息が荒い。

藍とて例外ではなかった。ターゲットは藍のような20代〜30代のいわゆるF1層の女性ということで、今回のチームの責任者には、28歳の藍が選出されたのだ。

若い人たちが活躍するインターネット業界においては、藍くらいの年齢であっても女性の管理職や役員クラスに抜擢されることは珍しいことではない。もちろん対メディア的に神輿を担がれているという側面は否定できないが、目的は何であれ、女性の活躍に積極的な会社というのは、やりがいを求めてこの業界に飛び込んだ藍にとっては好都合だ。

“それ“が起こったのは、そんな新しいミッションに燃え、モチベーションが最高潮に達している時だった。

「あれ・・・?」

耳に違和感を感じた。飛行機の中で耳がキーンとなるような、プールに潜り水が耳に入り込んだときのような右耳が何かに圧迫されている感じ。

左耳を塞いだり右耳を塞いだりしながら、あーーと声を出してみた。明らかに右耳の聞こえが悪い。プールから上がったあと水を抜く要領で頭を傾けてトントンと叩いてみたが変化はない。次に、鼻をつまんで口を閉じ思いっきり息を吐き出してみたものの、右耳の聞こえは治らない。

「何これ?」

藍は不調を言葉に出してみると、目の前の後輩が心配そうに聞いてきた。

「先輩、どうしたんですか?」

「何か耳がおかしくて…。お昼休みにでも耳鼻科に行ってこようかな。」
違和感はあるものの、たかが耳とやり過ごした。結局その日は、新しい企画のアイディアをまとめたり、資料を集めたりでバタバタと忙しく時間が過ぎていき、耳鼻科に行くどころか、お昼にありつけたのでさえ午後15時を過ぎていた。右耳の不調は夜まで続いていた。

藍は、就職してからも実家がある藤沢から通っていた。毎朝6時に起きて湘南新宿ラインで渋谷まで通勤している。帰宅はほぼ毎日23時過ぎ。「渋谷の近くに住めば?」と友人たちは勧めるが、行き帰りの電車の中では、本を読んだり仮眠をとったりと有意義に使っているので苦ではなかった。

しかし、この日に限って電車は混んでいて座れず、藍は、少しの疲労と右耳の違和感を抱えながら、つり革に揺られていた。横浜を超えたあたりで乗客は半分くらい降りて、同じくらいの人がまた乗ってくる。そのタイミングで目の前の空いた席に移動しようと思ったその時だ。

急に目の前がぐるぐると回り視界が歪んだ。立っていられずに、その場に倒れこむ。回転性の目眩に、吐き気が起きる。耳の奥では、深夜のテレビで流れる砂嵐のようなザーーーーっという雑音が響いていた。

「大丈夫ですか?!」

近くにいた乗客が藍に声をかける。うっすら目を開けるが、回し過ぎたメリーゴーランドに乗った後のようにぐるぐると世界が回り吐き気が強くなる。自分に何が起きているのかわからなかった。

「おい、誰か救急車!」「駅員さん、倒れてる人が!」

周りの人が叫んでいる声が遠くに響くのが雑音の中聞こえてくる。

目を開けると、病院のベッドの上にいた。

回診にきた先生は、藍が目を覚ましたのを確認すると、静かに症状を説明してくれた。

診断は、右耳の突発性難聴。

一般的に、40~50代に多く見られる病気だが、最近では10代や20代の若い人も増加傾向にあり働きざかりの女性に増えている病気だそうだ。原因は不明だが、ストレスや、過労だと言われている。

「ストレス・・・?」

せっかく任されたプロジェクトの責任者なのに、ストレスを感じてるはずはなかった。むしろ、モチベーション高くやる気に満ちていたくらいなのに、誰にでも当てはまりそうな通り一遍な原因を挙げられて、藍は少し不愉快な気分になった。

「それで、明日から2週間程度入院してもらいます。詳しい検査や、診断は、明日以降に順次行っていきましょう。」

「2週間?!そんなに・・・」

医師は藍の言葉に頷くと足早に病室を出て行った。



—聴力が戻る人はおおよそ2週間以内に戻る。—
—3分の1の人の聴力は完治し、3分の1は全快とは言わずとも聴力は戻る。3分の1は全く戻らない。—

インターネットで「突発性難聴」を検索すると、そんな情報がヒットした。

つまりは2週間後の退院する日までが回復の期限ということだ。

聴力検査では左耳と比べて明らかに右耳の聞こえが悪かった。ヘッドフォンのような検査機器を頭にかけ目を瞑る。蚊の鳴くようなどんな小さな音でも聴き漏らすまいと集中しているのに右耳からは何の音も聞こえてこない。祈るように耳を澄ますものの、検査結果のグラフに落胆する日々が続く。

上司に病気のことを告げ、入院が2週間にも及ぶとことを伝えると、藍の体調を心配しながらも、件のプロジェクトを気にしていることが手に取るようにわかった。

「こっちは何とでもなるから。今は、仕事のことは忘れて、治療に専念しろ。」

「はい、本当申し訳ありません。」

上司が気を遣わせまいと使った“なんとでもなる“という言葉に、藍は自分がいなくても仕事が回るのだという当たり前の事実を否が応にも痛感させられた。

そして、藍の代わりに、後輩の女性がプロジェクト責任者に登用されたことをSNS上で知った。

結局、2週間入院したが、右耳の不調は一向によくならなかった。

右耳の聴力が戻ってこないばかりか、神様は、三半規管の障害という意地悪をもう一つ与えた。まっすぐ歩くことが困難になったのだ。今まで両耳から入っていた音が片方に集約されたことで体が慣れずバランスを欠くせいだろうと医師は言った。1、2ヶ月もすれば、きっと元どおりの生活に戻れると言われたが、更に1、2ヶ月近い休職を強いられことに、藍は絶望的な気持ちになった。

スマートフォンをいじれば、同僚たちの刺激的な仕事の成果報告や、新しいプロジェクトへの意気込みなど、昼夜を問わず生き生きと働いている同僚たちの写真がSNSのタイムラインに上がってくる。

働いていないことへの申し訳なさと、置いていかれることへの恐怖から、早く職場に復帰しなければと焦るものの、母親の付き添い無くしてはまっすぐに歩くことができない現状に苛立つ日々が続いた。

このブランクが今後のキャリアに与える影響を考えると絶望的な気持ちになることもあったが、実家の前に広がる辻堂海浜公園がリハビリコースだったのは幸いだった。目の前に広がる静かな春の海に慰められるのだった。そして、藍は極力スマートフォンと距離を置くようにした。

3週間が過ぎ、体が徐々にバランス感覚を取り戻し、まっすぐに歩けるようになってきた。それでも、電車や、公共機関に乗るのは怖くて、近所のスーパーや、コンビニなど、家族以外の第三者のいる場所へリハビリがてら足を運ぶ日々が続いた。

テラスモール湘南の『PLST』に立ち寄ったのは、退院してから1ヶ月後のことだった。『PLST』は、洗練されたオフィスファッションが豊富で、藍たちの会社の女の子たちも好んで買い物をするブランドだった。数年前の入社式に着ていった白のスーツも、湘南の『PLST』で入社祝いにと母親に買ってもらった物だ。

「いらっしゃいませ。平日にいらっしゃるなんて、珍しいですね。」

顔見知りの店員が声をかけてきた。確かに今まで平日の昼間に訪れたことはなかったなあと思いながら店内を見回して見ると、ベビーカーを押しながら買い物をする女性や、日に焼けたいかにもサーファー風の健康的な女性、小学生くらいの子供を連れた主婦など、いろいろな種類の女性がいた。

—平日の昼間に来ている女性もいるんだ…—

考えてみれば、平日休みの人がいるのは当たり前のことなのだが、渋谷のオフィスビルの小さい箱の中が世界の全てだと思っていた藍にとって、平日の昼間は未知の世界だった。色眼鏡をぱっと外され、世界が違う色に輝きだしたかのような小さな驚きを禁じ得なかった。

仕事に熱中するあまり恐ろしく視野が狭くなっていた気がする。
当たり前だが、会社は藍がいなくても回るのだ。責任者となった後輩の女の子は、転んだりつまづきながらもチームを導いていけるだろう。

藍は、肩の力がふっと抜けていくのを感じた。

体の悲鳴に耳を傾けることなく走っていける年齢にも限りがある。

今年29歳になる藍にとって、もしかしたら今回の病気は、突っ走りすぎる藍に神様が警鐘を鳴らし、与えてくれたバケーションなのかもしれない。

—もう少しだけ立ち止まってこれからどう生きるべきなのか、再考する時間をとっても許されるだろうか。—

今までテーラードジャケットや美脚パンツを探しに来るだけで目に入らなかったが、よく見ると、広い店内には、太陽が似合いそうな鮮やかなアイテムや、海と仲良くなれそうなリラックスウエアもたくさん置いてあった。

コットンリネンのリラックスシャツや、スポーティーなジョガーパンツ。古着のように色落ちさせたデニム…仕事には着ていかれそうにないけれど、湘南の海だったらきっとすごく映えることだろう。

「すみません。試着させてもらってもいいですか?」

近くにいた店員に声をかけると、藍は目に付いたアイテムを抱えて試着室に向かった。今までキレイめのオフィスファッションばかりで、あまりはいたことのないデニムだが、そのガーゼのような柔らかいはき心地に藍は驚く。
自分には縁がないと思っていたカジュアルファッションのリラックスできる着心地に、肩の力が抜けて行った。試着室の中でくるっと一回転してみると、後ろ姿のラインも美しい。

「わぁ、デニムもお似合いですね!」

試着室から出ると、先ほどの店員が藍に微笑んだ。鏡に映る自分の姿は、いつもとは違いまだ少し照れはあるけれど、デニムにコットンリネンのシャツをさらりと羽織ってみたら、なかなかサマになっているではないか。

まだまだ、歩行に不安はあるものの、今年の夏が始まる頃にはきっと回復しているだろう。これらのアイテムを身につけて湘南の海を颯爽と歩く自分の姿を想像し、藍の顔から思わず笑みがこぼれた。


Photo:@koichi1717
Text:yukiko sakashita
Model:@inohanachihiro
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