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6人の女たち_#Vol.06 二兎を追う女

2017.07.23
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PLSTのお客様を主人公としたフォトノベル。様々な境遇の女性たちが、悩みや葛藤を抱えながらも前向きに明るい一歩を踏み出すストーリーを全6回でお届け。最終回の主人公はワーキングマザー・34歳の女性です。

二兎を追う女 _ワーキングマザー・真紀子34歳のストーリー

—オセロの角じゃあるまいし、シートの角をとったところで人生に勝てるわけじゃないのに。—

6月になって空気はじっとりと湿度を重く含むようになった。午後19時の埼京線大崎駅のホームは、始発であっても長蛇の列で、電車のドアが開いた途端我先にとシートに駆け込む背広の男たちにはいつも辟易する。後ろにいた若い男が真紀子の肩に激しくぶつかる。男は謝りもせず、そのままシートの角めがけて突き進むと空いてる席にドサっと腰を下ろした。

見慣れた光景ではあるものの今日一段とイライラするのは、先ほどまでのオフィスでの苛立ちのせいだろう。



真紀子34歳は、時短勤務でありながら、何となく帰るタイミングと空気感がつかめず19時になってしまったことに焦っていた。先ほどからちらちらと時計ばかりが気になる。すでに、机の上は綺麗に片付いていて、PCの電源をオフにすればいいだけだ。

上司が席を立ったタイミングを見計らって席を立つ。

「ごめんなさい。お先に失礼します。」

バッグを引っ掴むと、一目散にオフィスを後にした。

大崎駅までの道を歩きながら、なぜ、ごめんなさい、なんて言ってしまったのだろうかと後悔する。

そもそも、時間短縮をしている分給与が差っ引かれているのだ。堂々と「お先に失礼します!」と帰ればいいものを…
その罪悪感が伝染してか、どことなく同僚たちの目が冷え冷えしていたような気がするのは、気のせいだろうか…
帰るタイミングをうかがっているのも何だかコソコソと泥棒をするみたいで本当に嫌だ。むしろ、誰かが「そろそろ帰らなくて大丈夫ですか?」とでも水を向けてくれればいいのに、本当に気が利かない。

被害妄想と開き直りの間を、大きな振り子のように何往復もしているうちに、心が疲弊していくのがわかる。真紀子は今日何度目かのため息をついて、目の前でいびきをかき始めたサラリーマンを睨みつけた。

四谷にある大学を卒業後、大崎にあるインターネット企業の人事本部に配属された真紀子は、28歳のときメーカー勤務の同じ歳の男と結婚した。夫婦共働きで、お互いに平日は仕事に没頭し、休日は二人の時間を楽しむ。今思えば、とびっきりの贅沢に思えた生活は、32歳のとき真紀子に子供ができたことで一変した。

小さな小さな我が子を、壊さないように傷つけないようにと真紀子は一生懸命に育ててきた。おむつを替えて、授乳をして、泣いている子供をあやしているうちに、あっという間に一日が終わって、あっという間に1年がすぎた。

子供はかわいい。全力で真紀子求めてくるその健気さにはいつも胸がいっぱいになる。しかし、その頃から徐々に、自分が透明になっていくような感覚に襲われるようになった。声を限りに叫んでも、自分の声が社会に届かなくなってしまう恐怖感は日に日に強くなっていく。喃語を話しながらニコニコと笑う子供を愛しいと思う気持ちに偽りはない。しかし、打てば響く何かが欲しい。それも、大きく社会に対してゴーンと大きな音を響かせたくなるのだった。

1年半の育児休暇を経て、大好きな人事本部に戻れたときの、この世のすべての喜びを手中に収めたかのような全能感を今でも覚えている。


母親である幸せを得ながら、仕事でのやりがいも得たい。

子供を保育園に預けて仕事をすることを、ひどい母親だなんて思わない。
2017年の現代において、その二つを両立することはごく当たり前のことになりつつあるのだから。しかし、旨みばかりではなくちゃんと苦みも用意しているあたり神様はさすがに周到だと思う。

二兎を追う者は一兎をも得ず。そんな古人の諺が脳裏によぎる。

大宮駅西口徒歩13分の15階立てのマンションの10階。そこが真紀子の自宅だ。
西口一帯はもともと整備され綺麗な住宅街だったが、最近再開発が進み、同じようなマンションの建設ラッシュだ。

東京での保活は激しさを増し、3歳になっても仕事復帰できないと嘆いている友人がいる一方で、大宮の再開発に伴って2013年にできたばかりの保育園に子供を入れることができた時は、つくづく幸運だと思ったものだ。

大宮駅に着くと、急いで保育園に走った。綺麗に整備されたアスファルトの上をヒールで走ると、底のゴムがすり減っていたらしくカンカンカンと不快な金属音が響く。若い子じゃあるまいし、34歳の女がヒールのゴムが取れて金属音を鳴らして歩くなんて、子供がいなかったときには考えられなかった。

人事本部で働く真紀子は、いつも身なりを綺麗にし、学生から憧れられる社会人になることを求められていた。学生が最初に会うのは、企業の人事本部の人間で、その印象が会社への印象に直結するからだ。

そのため、真紀子は『PLST』などのキレイめなオフィスファッションを得意とするブランドに毎月給料の半分以上を、衣装代としてつぎ込んだりもしていた。その甲斐あってか、会社の後輩たちの中には、真紀子のファッションを真似する子もいたし、学生からは、「真紀子さんみたいな社会人になりたい」と目をキラキラさせて打ち明けられたこともあった。

しかし、最近は、イメージしていたおしゃれなママではなく、髪を振り乱して働く「母ちゃん」になっている気がしてならない。『PLST』にもここ1年くらい行っていないし、着ているものも2、3年前に購入したスーツジャケットをローテーションで着まわしている。

真紀子は、べたつく湿気のように頭にまとわりつく思いを振り払う。

保育園では嫌味の一言二言言われるかもしれない。他のお母さん方が迎えにくる中、一人残された我が子の不憫さを思うと胸が苦しくなる。ヒール修理によっている暇なんてない。住宅街をカンカンと耳障りな音を鳴らせて保育園に急いだ。

保育園で子供を引き取ると、スーパーに寄って食材を買った。家に帰ってから台所に直行して夕飯を急いで準備する。子供は、真紀子の足元で今日保育園であったことを必死で話している。油を使っているから危なっかしい。

「ちょっと危ないから、あっち行ってようね。」

真紀子が言うも全く聞かず、真紀子の足に抱きついてケタケタと笑っている。あぁ、もう…何の罪もない子供にもイライラしてしまう自分が情けない。

「ねぇ、ビール無いの?」

先に帰って風呂に入っていたらしい夫が風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭きながら冷蔵庫を覗き込んだ。

その言葉に苛立ちが募る。

肩身の狭い思いをして会社を出て、保育園まで子供を迎えに行ったのだ。
子供の手を引きながらスーパーに行って重い荷物を持って走って帰ってきたのだ。座る間もないまま、今日一日の汗と匂いを吸い込んだ洋服を着て、台所で油臭くなりながら夕食を作っている。そんな自分に対して「ビールない?」だなんて、よくもまぁ、そんなことが言えるものだ。

今日一日の疲れがどっと肩にのしかかってくる。

「冷蔵庫になかったら無いよ。」

できるだけ声にトゲが混じらないように事務的に答える。

—ビールくらい自分で何とかしてよ。—

そう叫びたくなる心に蓋をして、フライパンの炒め物を素早く皿によそう。
夫は、「えー買っておいてよ〜」と軽口を叩きながら「ねぇ」と足元の子供に笑いかける。真紀子に構ってもらえなかった子供は、遊び相手を得たとばかりに「パパ!」と抱きついた。その無邪気な笑顔にへなへなと無力感が募る。

とにかく、もう今は座りたかった。

金曜日は、毎週定例の人事本部全体会議があった。各グループの進捗報告と今後の戦略について部署全員が一同に会して話し合う。時短勤務や女性の働き方についてのレポートに関しては、真紀子が任されていた。この日は、朝からぴりりとしたムードに包まれている。

定例会議の前に、資料を人数分印刷しようとコピー機の前で待っていると、真紀子のポケットの中で携帯の着信を知らせるバイブが鳴った。

画面には「保育園」の文字。この時間の保育園からの電話は、何かしらのトラブル発生時だ。怪我か、発熱か、いずれにしても良くない胸騒ぎがした。急いで廊下に出て電話に出ると、よく知る保育士の声が聞こえてきた。聞けば、お友達と喧嘩してジャングルジムから落ちて怪我をしたらしい。

「怪我…うちの子は大丈夫ですか?」

「骨折にはいたってないと思うのですが、先ほどからずっと泣いていて…」

念のためこれから病院に連れて行った方が良いと思うと、保育士は心配そうに声をひそめる。

「これから…」

子供の一大事に心配しない親はいない。真紀子とて、怪我をしたと聞いて、いますぐにでも飛んでいきたい。しかし、これからすぐとなると…
できるだけすぐに向かうことを伝えて電話を切ると、真紀子は、夫に電話をした。もし、可能であれば、今日は夫に迎えに行ってもらいたい。しかし、何度かけても着信音が虚しく響くだけで繋がらない。

—何で出ないのよ…—

重要な会議中なのだろうか。それとも社外の人との打ち合わせか。苛立ちのバロメーターのように鬼のように着信を残したが、結局夫と連絡がとれなかった。

真紀子は、仕方なく定例会議の欠席を上司に伝えると、すぐさま事情を理解し、笑顔で送り出してくれた。しかし、上司に対しての申し訳なさと、仕事を中断せざるを得なかった悔しさ、思う存分仕事ができないことへの苛立ちでいっぱいになる。大崎駅までの道中、真紀子の目に熱いものが滲んだ。

—共働きなのに、何で私ばっかり…—

15時の電車は、帰宅ラッシュ時と比べると驚くほどのどかで、その穏やかさが、社会人としての疎外感を加速させるかのようで、余計に真紀子は悲しくなった。

「何で電話出ないのよ!子供が怪我して大変だったのよ。私が迎えにいかなければどうなったと思ってるの。」

その夜、夫が帰ってくるなり喧嘩となった。

病院に連れて行ったところ軽い捻挫だったが、怒りに任せて多少話が大きくなることくらい許されるはずだ。夫は、真紀子の剣幕に驚きながらも電話に出れ無かったことを詫びた。

「悪かったよ。上司も同席して取引先の役員とのアポだったんだよ。帰りのタクシーの中も一緒だからさ…」

夫の真っ当な事情を聞いたところで真紀子の腹の虫が収まるわけがない。

「共働きなんだから、責任は同じはずでしょう!あなただって父親なのに、何でいつも私ばっかりなのよ。」

怒っているうちに、感情の沸点を超えたのか、涙がポロポロとこぼれてきた。

子供が風邪をひいて保育園を休まなければいけない日、仕事を調整して家にいるのはいつも自分。保育園に呼び出されたら仕事を切り上げてお迎えに行かなければいけないのも自分。

涙をこぼしながら、今までの不満を頭に思いつくままぶつける。泣きながら叫ぶ真紀子をしばらく見つめたのち、夫は何かを考えるように静かに言った。


「そうだよな。いつもお前ばっかりに任せてごめんな…」

涙は次々に溢れてくる。

「そんなにいっぱいいっぱいだとは思わなかった。悪かったよ。真紀子に甘えっぱなしになってたけど、仕事が調整できる日は俺が迎えに行くから。これからは、もっと頼ってよ。」

もちろん、職場への復帰を望んだのは他でもない真紀子だ。しかし、その負い目から、私がやらなきゃと思い込み、気付けば「どうして私ばっかり・・・」と被害者意識でガチガチに心が硬くなってしまっていた。不機嫌になることで、それくらい察して!と夫に求めすぎていた気がするが、言葉に出して夫に頼ったことがなかったことにはっとする。

言葉にして伝えれば分かってくれるし、一緒に子供を育てる同志なのだと改めて気付く。被害者意識で、心の中で毒づいていないで、もっと積極的に夫を巻き込んでいけばいいのだ。

「本当にいつもありがとう。」

そう言って笑いながら頭を撫でてくれる夫に、先ほどまでの怒りが波のようにすーっと引いていった。


その夜は、夫が子供をお風呂に入れて寝かしつけまでやってくれた。夫は疲れて一緒に寝てしまったのか、寝室からは静かな寝息が聞こえて来る。そのおかげで、真紀子は、久しぶりに夜、リビングで仕事をしようとPCを立ち上げた。

上司から一通のメールが来ていた。

「皆、真紀子の頑張りはわかっている。次回の会議はよろしくね!」

シンプルだけど、真紀子の気持ちを汲んだメールに思わず涙腺が緩む。 いっぱいいっぱいになって周りが見えていなかったが、周囲の理解に支えられているのだ。

—自分だけ被害者面して、バカみたい。—

真紀子はふっと笑った。メールを確認していくと、『PLST』からのメルマガも届いていた。クリックすると、メルマガに掲載されたオフィススタイルの写真に目を惹かれた。

綺麗なベージュピンクのワンピースに、白のノーカラーのジャケット。

そう言えば、久しく自分のための洋服を新調していないことに気づき、オンラインショップを覗く。そこには、色とりどりの美しいアイテムが綺麗に陳列されていた。

子供が生まれて、一人買い物をする自由な時間や、心ゆくまで仕事をすることなど、止むを得ず手放さなくなったことはたくさんある。それでも、「二兎を追う者三頭を得る」くらいの意気込みをもってすれば、叶えられることもあるかもしれない。

真紀子は、メルマガに掲載されていたアイテムを、買い物かごに放り込んだ。

働いていれば、いっぱいいっぱいになって、クールなママじゃいられない日だって、母ちゃんになってしまう日だってある。それでも、就活生や後輩たち、そしていつか我が子にも「お母さん、かっこいい。」と思ってもらえるように頑張ろう。そう真紀子は心に誓った。


Photo:@tak_tag
Model:@miyumaesaka
Text:yukiko sakashita
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